前回の『チェスコンピュータvs人間の歴史(チャンピオン参戦時代)』では1912年のチェスコンピュータ誕生から、グランドマスターを倒す1988年のディープ・ソート編までの人類とコンピュータの戦いを振り返ってみましたが、今日はその続きの話です。
vsディープ・ソート(1989年)
ついにvsコンピュータ戦に世界チャンピオンが参戦します。
時は前回話したコンピュータがグランドマスターをはじめて倒した次の年、つまり1989年のこと。
ディープ・ソートというコンピュータが当時のチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフさんに挑戦します。
しかし、2戦してあっさりと両方負けてしまいチャンピオンの勝利となります。
ここでカスパロフ氏を倒すために特化したコンピュータを作ろうではないかという話が上がり、ディープ・ブルーというコンピュータの製作に入ります。
Garry Kasparov vs Deep Thought (Computer)
Deep Thought (Computer) vs Garry Kasparov
vsチェス・ジーニアス(1994年)
1994年、ロンドンにて公の場でチェスでコンピュータ相手にチャンピオンの敗北となりました。
チェスジーニアスという名前のコンピュータでしたが、持ち時間のルールが25分という快速ゲームと呼ばれるものだったため、一般的なトーナメントルールではないとして、そんなに話題にはなりませんでした。
この公開対局の大会はノックアウト式トーナメントだったそうなのですが、チェス・ジーニアスが勝ち進んだ次の対戦で、ビスワナサン・アナンドさん(2007~2013年の世界チャンピオン)に、さっくりと負けてしまってたので、さらにそんなに大きな話にはならなかったのかもしれません。
Garry Kasparov vs Chess Genius (Computer)
vsディープ・ブルー(1996年、1997年)
1996年、世界的には有名な戦いであるディープ・ブルーvsガルリ・カスパロフが実現します。
今度の対戦は長丁場。チェス・ジーニアス戦で負けたときのようにはいかないというのが、なんとなくわかります。
この番勝負は6番勝負。初戦のみチャンピオンが落としましたが、他では強さを見せつけチャンピオン側の3勝1敗2分けというチャンピオンの勝利で終了します。
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翌1997年、さらに強化されたディープ・ブルーがまたもやチャンピオンに挑みます。
またもやルールは6番勝負。今度は初戦のみチャンピオンが取り、他は思うように成績がついてこず、チャンピオン側の1勝2敗3分けで、なんとチャンピオンの敗北となり、当時は大きな話題となりました。
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vsレベル(1998年)
1998年。先ほどにも登場した当時世界ランク2位だったビスワナサン・アナンドさんがレベルというコンピュータと公開対局をします。
8番勝負を行い、スコアは3-5でコンピュータの勝利に終わりましたが、この8回の勝負は制限時間がバラバラでした。
まず、制限時間5分+1手5秒のゲームを4戦行い人類側の1-3というスコア。
次に制限時間15分のセミブリッツゲームを2戦行い人類側の0.5-1.5というスコア。
最後の2戦が40手ごとに2時間という伝統的な制限時間を使い、人類側の1.5-0.5というスコアでした。
制限時間が短いと、もう世界一を超えているかもしれないと思わざるを得ない状態でしたが、制限時間が長いとまだまだ遅れを取っていないことが多かったようです。
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vsディープ・ジュニア(2000年)
2000年にはDeep Juniorというコンピュータとレーティング2615~2770の9人のグランドマスターたちそれぞれと1戦づつ対戦。結果は2勝2敗5分けとなり引き分けになりました。
vsディープ・フリッツ(2002年)
2002年、ブレインズ・イン・バーレーンというイベントでディープ・フリッツというコンピュータが当時の世界チャンピオン、ウラジミール・クラムニクさんと戦います。
結果は8番勝負で引き分け。
Brains in Bahrain (2002)
vsディープ・ジュニア(2003年バージョン)
2003年、パワーアップしたディープ・ジュニアがガルリ・カスパロフさんと6番勝負で対戦。
結果は引き分け。
FIDE Man – Machine WC Match
vsX3D・フリッツ(2003年)
同じ2003年、カスパロフさんは今度はX3Dフリッツという、この公開対局のために作られたというフリッツシリーズのソフトと対戦。
今度は4番勝負で結果は引き分け。
Man – Machine World Chess Championship Match
その後(2003年~)
世界チャンピオンが参戦して拮抗しているように見える今回の戦いの紹介でした。
次の記事ではついにコンピュータ優勢時代の到来です。