前前回の『チェスコンピュータvs人間の歴史(チャンピオン参戦時代)』では1912年のチェスコンピュータ誕生から、グランドマスターを倒す1988年のディープ・ソート編まで、前回の『チェスコンピュータvs人間の歴史(世界チャンピオン参戦時代)』ではチャンピオンが参戦した後の1989年ディープ・ソートから2003年のX3Dフリッツ編まで振り返りました。
本日はついに機械の方が優勢になり、ついに人間のチェスチャンピオンを超えてしまったのではないかと言われるようになったあたりからの話になります。
団体戦(2004年)
チェス人間チーム対機械チーム世界選手権という3対3のチーム戦を行います。
人間チームは国際チェス連盟チャンピオン経験者のべセリン・トパロフさんとルスラン・ポノマリョフさん。そしてもう一人は当時世界最年少グランドマスターのセルゲイ・カリヤキンさん(当時14歳)が参戦。
平均レーティングは2681だったそうです。
機械チームは、パーダーボルン大学の国際コンピュータチェス選手権覇者ヒドラと、それぞれ人間との対戦実績のある前回の記事でも出てきたフリッツ8とディープ・ジュニアが参戦しました。
結果は人類側の1勝6敗5分けとなりました。
ちなみに唯一の1勝を勝ち取ったのは最年少GMのセルゲイ・カリヤキンさんでした。
Sergey Karjakin vs Deep Junior (Computer)
団体戦(2005年)
同じイベントの第2回が行われます。
人間チームは3人とも元国際チェス連盟チャンピオンを投入しました。
アレクサンドル・カリフマン さん、 ルスラン・ポノマリョフさんとルスタム・カシムジャノフさんという方です。
機械チームは、バージョンアップはしていると思いますが同じ面々です。
結果は人類側の1勝5敗6分け
以降のネタバレになってしまいますが、この1勝(ポノマリョフvsフリッツ)は一般的なトーナメントルールで、全力の機械をチェスで人間が倒した最後の例となってしまいました。
2nd Festival Internacional de Ajedrez Man – Machine Tournament
アダムスvsヒドラマッチ(2005年)
同じく2005年、上の対戦にも出ていたチェスコンピュータのヒドラが特注のハードウエアで当時世界7位の人(マイケル・アダムス)と6番勝負で対戦。
結果は人類側の0勝5敗1分け
一部のチェス関係者からは、もう人間対機械のチェス対決は潮時かもしれないとの声が上がったそうです。
Adams – Hydra Match
クラムニクvsディープフリッツマッチ(2006年)
2006年、私が知る限り最後の機械vs世界チャンピオンの番勝負が行われました。
当時の世界チャンピオンは、カスパロフさんのお弟子さんのウラジーミル・クラムニクさんです。
機械側はおなじみフリッツシリーズが参戦。
フリッツは機械の中で何位くらいの実力だったか忘れてしまいましたが既に最強ではなかったはずです(5位前後と聞いたような気がする。間違ってたらごめんなさい)。
人間側にとって、長く戦ってきたコンピュータソフトだったため、比較的やりやすかったからかもしれません。
結果は人類側の0勝2敗4分け。
チャンピオンは相当精神的プレッシャーを感じていたようです。
なぜなら驚くべきことに1手メイトを見逃して負けるという珍事があったからです。
これは世紀の大悪手とも呼ばれました。
Kramnik – Deep Fritz Match
これを最後に機械対人間頂上決戦チェス対決は興行的に成り立たなくなったと言われ、幕を閉じます。
その後(2008年ごろ~)
2008年ごろからは人間が下手(ハンデを付けてもらう側)での駒落ち戦などのハンデ戦が行われるようになります。
一般的なトーナメントルールでない制限時間でなら、このあたり(2008年前後)まで世界最強のコンピュータ相手にアンチコンピュータ戦術という独特の戦い方で人間が勝利をとることはありました。
このような歴史をたどって、現代はチェスでは機械に勝てないね。という認識に変わっていったのです。