頭を使う仕事は、何歳ごろに最も上手くできるのでしょうか?

『若いほど情報を素早く処理できる』と聞くことがあります。一方、難しい判断には長年の経験が欠かせないとも言われます。しかし、年齢と実力の関係を調べようとすると意外に厄介です。仕事の内容や道具は時代によって変わり、人によって担当する課題も違います。
20歳の人と50歳の人に同じ仕事をしてもらい、しかも100年前の人などと同じ基準で比べる事は普通なら無理です。

そこで研究者が利用したのがチェスの対局記録(チェスの棋譜)でした。

チェスでは、1手ごとに盤上の状態が記録されています。勝敗だけでなく『その場面でどの判断をしたか』を後からたどれるのです。さらに現代のチェス用コンピュータは、人間のトップ選手世界チャンピオンを超える水準で候補手を評価できます。昔の名人の一手も現代の選手の一手も、同じコンピュータに見せれば、少なくとも同じ物差しで比較できるわけです。

また今年2026年11月に行われるチェス世界チャンピオン決定大会であるチェス世界選手権は20歳同士の若き天才の対決であり、史上最も若いチェス世界選手権と呼ばれています。年齢と強さについて少し深堀してみましょう。

125年分160万を超える局面

経済学者のAnthony Strittmatter、Uwe Sunde、Dainis Zegnersは、1890年から2014年までに行われた世界王者とその対戦相手の対局を分析しました。最終的なデータは2万4379局、841人。年齢は12歳から65歳で、160万を超える局面が含まれています。

研究では、各局面で実際に選ばれた手を、チェスエンジンStockfish8(もちろん世界チャンピオンよりかなり強い。昔AlphaZeroという新しいディープラーニングの切り口のチェスAIの比較対象として選ばれた2017年あたりで最強のチェスAI)が最もよいと判断した手と比較しました。
序盤には自身の力量とはさほど関係ない時代背景が強く出る事前に用意した定跡と呼ばれる手順が多いため、主な分析対象は10手目から100手目までです。仮にチェスのルールを知らなくても、ここでの考え方は単純です。100年以上にわたる答案を集め同じ採点者にまとめて採点させた、と考えればOKです。

もちろん、Stockfish8の判断が数学的に完全な正解だという意味ではありません。事実、後発のAlphaZeroには敗れた上に、現代ではさらに強いチェスAIがいます。それでも全時代の一手に同じ基準を適用したため、時代ごとに採点方法が変わる問題をかなり抑えられるのです。

成績は若い時期に伸び、35歳前後で山がある

調整前の分析では1手の質は若い時期に急速に上がり、20代前半から伸びが緩やかになり、35歳前後で頂点に達する山型の曲線になりました。対局の長さ、盤面の複雑さ、駒の色、出生世代、対局した年代、選手ごとの違いなどを考慮した分析でも山型の傾向は残りました。

ただし「人間の能力は35歳を過ぎると急落する」と読むのは少し違いそうです。別の成績指標と調整方法では頂点は40歳前後になりました。また、45歳以降の低下は統計的にはっきりしない分析もあり、年齢が高い選手ほど重大なミスが増えるとも確認されませんでした。正確に言うなら「トップ級選手の1手の質をこの方法で測ると、35~40歳前後に緩やかな山が見えた」と言うべき結果です。

後の世代ほど、若いうちから成績が高い

もう一つ興味深いのは世代差です。後に生まれた選手ほど平均的な成績が高く、とくに若い時期の伸びが速くなっていました。研究者たちは、家庭用コンピュータやチェスエンジンの普及により、以前より早い年齢から大量の対局例を調べ、効率よく練習できるようになった可能性を挙げています。

ただし、この研究は「コンピュータを使わせる実験」を行ったわけではないのです。技術の普及時期と世代差が重なっているため、説明の候補にはなりますが、原因がコンピュータだけだとは証明できていません。指導法、競技人口、国際大会への参加機会など、ほかの変化も充分あり得ます。

2022年には、囲碁の世界王者62人と対戦相手を扱った別の研究でも、年齢と成績の山型、後の世代ほど速い上達が報告されました。ただし、こちらは棋譜の1手をエンジンで採点した研究ではなく、時間とともに変化するレーティングを用いています。
チェス研究の完全な再現ではなく「別の競技でも似た形が見えた」という補助的な材料です。囲碁研究の著者自身も競技成績が医療的な認知機能検査と一致するかは分からないと注意しています。

「脳の賞味期限」を示す研究ではない

この研究の対象は、世界王者とその対戦相手という極端に選抜された人々です。一般の人が仕事、家事、創作で発揮する能力を直接測ったものではありません。チェスの一手には、処理速度だけでなく、記憶、経験、訓練量、体調、対戦相手との関係などが複雑に混ざります。「人間の知能全体が35歳で頂点を迎える」と言い換えることはできません。

それでも、この研究が面白いです。年齢を若さと衰えだけの話にしなかった点です。実際の成績は、素早く学ぶ力と、積み重ねた知識と、利用できる道具の組み合わせとして表れます。新しい世代が若いうちから高い水準に達したことは、年齢曲線さえ環境によって形を変える可能性を示しています。

「何歳がピークか」という問いに一つの数字だけで答えるのは難しい。むしろ大切なのは、どの能力をどんな課題と道具で測ったのかを確かめることだと思われます。チェスの125年分の記録は、能力を年齢だけで決めつけないための、少し変わった長期観察になっていますね。

出典

・長期的な認知能力のライフサイクルパターン
・囲碁世界チャンピオンのプロパフォーマンスのライフサイクルパターン

ABOUT ME
くろーりん
チェスブロガー、くろーりん。 チェスのルールを知らなくても楽しい。 ルールを知ってるともっと楽しいブログを目指します。 チェス情報発信歴10年くらい。 チェスの強さはいまいちなので、雑学やTIPSなど「チェスって面白い」と思っていただけるブログ制作を心がけます。 (当ブログはリンクフリーです) Vtuberとしてyoutubeで配信もしているので、ここの下のyoutubeアイコンからぜひお越しください。